夢の国へ、いざ行かん!~半日の旅:復路編~
小熊 誠
ラオス人民民主共和国(プロジェクト業務調整)
前回の続きとなりますが、タイ・ラオス友好橋のタイ側入国審査を抜けると、そこは国境の町ノンカイです。バンコクから見れば、辺境の地に違いありませんが、ラオスから来るとセブンイレブンはありますし、文明開化のにおいがしてきます。言葉もいきなりラオス語からタイ語に変わり、無意識のうちに自分が慣れ親しんだ国にいることが全身に伝わってきます。こう感じられるのは、やはり28 年も前の昔、青春時代を隊員として過ごしたタイだからなのだろうと思います。隊員時代の経験は本当に大きいものです。
喜び勇んでラオスの家を出たのが朝7 時。ノンカイに入るも、まだ8 時半。それならばと、50 ㎞先の東北地方の中心地ウドンタニに行こうと、乗り合いバンのおばちゃんの客引きにも快く応じ、ウドンタニ行きのバンに乗り込みました。約40 分乗車し、降り立った場所はウドンタニの中心地、セントラルデパートでした。(写真1)。大きくて、奇抜なデザインがかっこいい。UNIQLO の看板まで見られました(写真2)。ウドンタニに着いたものの、まだ9 時15分。私は外のベンチで座り、デパートが開くまでの間、一人感慨にふけっていました。
デパートには、KFC、マクドナルド、スタバ、ユニクロ、大戸屋など馴染みの店がたくさんありましたが、一番最初に入った店は、なぜかファーストフードのKFC でした。あの油のにおいが懐かしかったのと、フライドチキンとソフトクリームを食べたくなったからです(写真3)。
その後、地下から上階へと店内をくまなく散策。地下のスーパー、Tops には刺身がところ狭しと並べられており、早速マグロの刺身をラオス土産として買いました(写真4・5)。また、Vans の陳列も美しく、店内を回るだけで心が満たされていきました(写真6)。
昼食として選んだのは、バンコク時代よく食べたタイのステーキチェーン店、Santa Fe。セットメニューで129 バーツ(約450 円)という安さも魅力です(写真7・8)。
昼食後には、タイ時代に残していた口座の残高を知りたかったので、銀行に行き、通帳記入をしてみました。ちなみに記帳前、通帳の最後には、「2561(=2018)年7 月21 日:500 バーツ(約1,750 円)」との文字が記載されています。
そして、新たに通帳記入された額は、
2562(=2019)年7 月20 日:200 バーツ自動引き落とし:残額300 バーツ
2563(=2020)年7 月18 日:200 バーツ自動引き落とし:残額100 バーツ
2564(=2021)年7 月17 日:100 バーツ自動引き落とし:残額 0 バーツ
となっていました。億万長者になれるかなという淡い期待も、毎年の口座維持料で、無残にも残額ゼロとなっていました。
セントラルデパートで時間をつぶすと、すでに満足した自分がいることに気づきました。まだ3 時前ですが、もう帰ってもいいかなと、ちょうどセントラルデパートの前に停まっていたノンカイ行きの乗合いバンに乗ることにしました。そして、タイ・ラオス友好橋の手前で一人降ろしてもらい、徒歩でイミグレカウンターまで向かいました(写真10)。まだ明るい時間だからか、土曜日にラオスに入る人も車も少なく、出国審査もすぐに終えました(写真11)。橋を渡るバス代は35 バーツ、当然のことながらバーツ表示(写真12)、ここはまだタイなのだと、バスに乗り込みます。
たった1 ㎞程度の国境の橋、この狭い橋に列車が本当に走れるのかなと思い、道路を見ると、確かに真ん中だけレールが敷かれているのが見えました(写真13)。メコン川を横目に、橋を半分程渡ると、タイ国旗からラオス国旗へと変わり、いつしかラオスモードに(写真14, 15)。橋を渡り、ラオスの入国審査を終え、家にたどり着いたのは、まだ日も落ちぬ5 時のことでした。
家に着いて、ふと自分はタイに行ってきたのだろうか、夢だったのではないだろうかという感覚に襲われました。Netflix ドラマ“Stranger Things”では、裏側の世界へ入り込むストーリーでしたが、私の場合も、裏側の世界、いや横の世界に入り込んだだけだったのではないだろうか。
28 年前に過ごしたタイ、夢の国は、何事もなかったかのように、ラオスの地で、心の奥底に仕舞われることになりました。
『また行くぞ、夢の国へ』と心に誓いながら。
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