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ビクトリアちゃんの事 ミャンマー 2019年9月

ミャンマーの首都ネピドーは2011年にそれまでのヤンゴンから官公庁と国軍司令部が遷都した町。当時の軍事独裁政権がアメリカの湾岸戦争を目の当たりにし遷都を決意したという。以前は畑と丘陵が広がるほとんど不毛の地だが、アッという間に農地は政府の命令で接収されインフラが整備された。片側10車線の道路や学校が建設され1,000床を持つ病院もあるが医師は足りない。利点は渋滞がなく通勤通学はいたって便利だが、「渋滞に巻き込まれた」という言い訳は遅刻の理由にはならない。住めば都で徐々に人口が増えつつあるため泥棒が現れるが、殺人事件など悪質な犯罪はほとんどない。

そんないたって平穏だった街に今年5月半ばに衝撃的な事件が起きた。市内のある保育園で3歳にもならない女の子が白昼強姦されたのだ。保育園は市内でも人気があり小中学部も備える学校が運営。ミャンマーの家庭は子供を大切にし、誘拐から守るため親たちは送り迎えを徹底する。学校側も警備員をおき日中は門を閉ざし安全には万全の配慮をはらう。

その日いつものように父親は娘を幼稚園まで送った。しかし午後になり突然父親は幼稚園から呼び出された。急いで駆けつけると自分の娘が担任に抱えられ覇気がない。とにかく病院へ、と言われすぐ近くの小児科に行く。そこで医師から強姦されたようだ、と聞かされ愕然とした。同保育士は教室から見かけなくなった女の子を探すと1人で廊下に立って泣いていた、太ももから血などがつたって流れていたのでトイレで洗った、どうしたの?と尋ねるとお兄さんがした、と言った。

学校側はすぐ警察に通報し駆けつけた警官が事情聴取をする。対応したのは学校の総務部長と園長だが、警官は総務部長に対しては極度に低姿勢。それもそのはず同部長の夫は警察幹部でそのうえ彼女の父親は元国軍将軍という家柄だからだ。警察は容疑者として同部長の運転手、警備員、保育士らを逮捕したが即日全員が釈放された。しかしその1週間後、今度は犯罪捜査局が運転手だけを逮捕した。犯罪捜査局は内務省内で警察より権力を持つ強面の組織。そして部長の夫は同組織の幹部を務めた経緯がある。たが運転手は事件発生日が仕事始めで同施設内のことは無知。それでも当局は彼をクロと決めつけ拘留した。

しかし地元メディアが入手したCCTVには、その運転手が朝から事件発生時まで待合室にたたずむ映像が記録されていた。地元住民や父兄たちは当初から真犯人は別にいるはずだと勘ぐっていたが、この事件と不当逮捕はSMSで拡散し著名な弁護士や歌手も正当性を訴え始めた。またこの事件に対する警察の欺瞞性をSMSで積極的に発信していた若者を警察は電子取引法で逮捕する事件が発生。そのため7月にはネピドーで約1,000人がデモを行い参加者たちは「ビクトリアちゃんに正義を!」と叫び事件の真相究明と解決を訴えた。ビクトリアという名前は強姦被害者の女の子に対してつけたニックネーム。これに呼応し中部の大都市マンダレーで約3,000人、ヤンゴンで6,000人以上がデモを繰り広げた。

マンダレー市内でのデモ、Myanmar Times

突然3歳にもならない我が子が強姦されたにもかかわらず、真剣に事件解決に取組まない警察に対して両親は怒りをこらえることしかできなかったが、幼稚園に子供を通わす親たちは当初から総務部長の16歳と12歳の息子が犯人ではないかと嫌疑をかけていたらしい。事件当日その2人が幼稚園内でウロウロする姿が複数の関係者から目撃されたが、母親は警察に対して当日息子たちはいないと証言。その母親は夫と父親の肩書を背景に総務部長として強権的な職場体制を作り普段から不評を買っていたという。そして2人の息子たちの後光の七光りをかざす振る舞いに園内の関係者はいぶかしかったらしい。その後の弁護士と警察側とのビクトリアちゃんへの事情聴取で提示した複数の容疑者の写真の中から彼女は2人の息子を指さした。実はこの長男は父親の前任地で地元少女に対する強姦事件を起こしたが何ら処罰されることがなかったと言われる。そして今回再度同じ事件を引き起こしたと言われる。

大統領府もこの事件に対して公正な捜査と判断を求める声明を出し、ユニセフも子供の人権侵害に深く憂慮する姿勢を示す。ミャンマーの過去2年間の強姦事件は50%増加し、2018年度の統計上だけでも1,500件以上発生し、その70%以上が18歳以下の少女だ。しかし、この事件が解決に向けて進展することはないのかもしれない。ミャンマーではこのような警察や国軍が関与すると思われる事件は闇に葬り去られることが常だ。4年前には東北部の町で教会のボランティア教師だった10代の少数民族女性2人が夜中に襲撃され強姦されたあげく殺害された。事件現場の反対側には国軍部隊が駐屯し、犯行現場には兵士たちの多数の遺留品が残されたが容疑者の検挙は未だない。

直近では2017年に海外視察からヤンゴン国際空港に戻り家族の出迎えを受け、息子を抱いて車を待っていた法律家が白昼拳銃で頭を打ちぬかれ射殺された。彼は国家顧問であるアウンサン・スーチーさんの法律顧問で、国軍が定めた憲法の隙間をついて彼女を大統領より権限のある国家顧問に就任させる事に成功し、政権与党の中で重要な立場にいた。しかし現行犯の男や元軍人の数人が逮捕されただけで真相は闇のまま。人々はスーチー政権の幹部を見せしめ的に暗殺し弱体化を図る軍の仕業だとしきりにささやく。先月にはスーチー氏が党首を務める国民民主連盟のネピドー本部の敷地内で手榴弾が発見された。

デモの参加者たちはビクトリアちゃんの人権保護と公正明大な法の執行を訴える。しかしその先には民主化後も未だに絶大な超法規的な権力を握り、利権を決して放そうとしない国軍への批判があるらしい。ミャンマーという国が「軍事政権」の亡霊から解放される日はまだまだ先になりそうだ。

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