アソシエイト・レポート2019年 >ミャンマーのネピドーで見かけた日本的なもの(トラック編)

ミャンマーのネピドーで見かけた日本的なもの(トラック編) 2019年5月

碓井哲郎 業務調整(ミャンマー連邦共和国)

ヤンゴン市内はクラッシックカーの宝庫だったが 10 年前から日本からの輸入車が急増した。そのためそれまで活躍 していた古参の車両は廃車や地方への左遷と憂き目にあっている。

しかしここ新首都ネピドーではまだまだクラシ ックカーが老骨に鞭打たれながら走り回っている。その中でもひと際目を引くのがボンネット型のトラックだ。 このトラックは 1955 年に締結された「賠償および技術協力協定」という戦後賠償に基いた資金協力により開始され た「ビルマ工業化4プロジェクト」の一環として現地で組立て生産された製品の1つ。日野自動車がラングーン (当時)の工業省で 6.5 トントラックを組立てた。生産合計台数は不明だが 70 年から 73 年には 29 人乗り小型バス と合わせて 600 台が生産されたらしい。

社会主義かつ軍事政権下での援助は当然軍事支援ともなり、多くのトラッ クが軍用として活用されたことが以前国会で ODA 大綱に反すると批判されたこともあった。 その後円借款と引継がれた同プロジェクトは 87 年まで継続されたが、今では軍部と政府機関で使用されている限り でヤンゴン市内では殆ど見かけなくなった。

しかしネピドーではまだまだ「現役」で、市当局の散水車として利用 される風景を毎日見かける。製造から 50 年以上も経った今でも活躍している姿に日本製品の頑強さと、現地役人の 壊れたら責任を取らされるといった「責任感」と「無いならないなりに」という根性がトラックの雄姿からにじみ 出ているように思えてならない。

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