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「ベアードパパ」 2018年 No.11

髙橋敦 業務調整(東ティモール民主共和国)

このシュークリーム屋さん、ググってみると国内約200店舗・海外16の国と地域に約170店舗あるようなのですが、自分が初めてこの店を知ったのは国内ではなく、前回の派遣先であったバンコクでした。本社は自分の地元、大阪。自分の世代はCMの影響もあり、シュークリームといえば「ヒロタ」だったので、大阪発祥なのに知らなかったなぁと意味もなく驚きました。(ちなみに親族ではないようですがベアードパパ創業者も廣田(ヒロタ)さんのようです)。東南アジアへの赴任は前回が初めてだったので、ベアードパパのような単価の高いシュークリームでも売れていたり、日本と同じ価格の8番らーめんや大戸屋などが地元大学生で満席になっていたりしていた状況に、当時は率直に驚きました。

前置きが長くなりましたが、私は2013年から東ティモールで技プロ調整員をしています。ちょうど2012年に国連の大勢が東ティモール独立後復興の軌道に乗った(のか?)のを見届けて退去していった直後の赴任になります。国連が行政を現地政府に全面的に移管していき、地元警察のみによる道路交通整理が行われ始め、首都の道路の舗装も進み、交差点に信号機も現れ、道路の中央線なども引かれて(こうして書くと、そういのも首都になかったのだなぁとあらためて思います、ちなみに信号機は現在ほとんど壊れています)インフラも整っていきました。

2013年末にはバーガーキングが進出すると発表され、といってもまだ先だろうと思っていたら、意外と瞬く間に4店舗が翌年には展開されました。それまでにも映画館が併設してあるティモールプラザというショッピングモールが2011年にできていて、1956年の日本で言われた「もはや戦後ではない」ではないですが、2009年頃言われだした「Goodbye Conflict, Welcome Development(紛争よさようなら、ようこそ開発)」という合言葉が現実味を帯びてきた2016年、バリ島まで来ていた表題の「ベアードパパ」も、ついにバリ島から飛行機で1時間ぐらいの東ティモールに赴任(開店)しました。

ここでこの国もこのまま勢いに乗っていき、マクドやスタバもいずれやって来るのか!?と期待していたのですが、2018年半ばの今、やはりそう簡単にはいかないのか、とちょっと残念な今日この頃です。東ティモールはオーストラリアとの国境付近にある石油・天然ガスの収益で国家歳入の約9割を賄っていて、国内での産業が育ってないのが独立後、現在までの悩みです。

確かに2013年~2016年頃までは、車も増え、バーガーセットが7~8ドルもするバーガーキングに地元高校生を見かけ始め、いよいよ都市化が進み、貧富の差も広がってくるのかなと思って観察していました。ところが新しいレストランなどもできるにはできるのですが、できてはつぶれ、できてはつぶれで、なんとなく上向いていく感じではなくなりました。また、国連がいた最後の方にはゴルフ場の建設も認可待ちだと言われてたのですが、ゴルフ場建設どころか気づけば国内2か所にあった打ちっぱなしも閉鎖してしまいました。

配属先は大学なので、大学の若い教官や学生と話すことがあり、あくまでこれは彼らとの会話からの印象ですが、若い人たちでもまだまだ保守的で、新しいものには興味を示さないのも産業が活性していかない一因なのかなと思ったりします。

例えば映画館、日本よりも早く最新の欧米映画が見れるのですが、たまに週末に家族で行っても、客は我々だけで、ホームシアター状態になったり、「もう一人客が来ないと上映しないよ」と言われたりします。若い大学教官に、友達や彼女と映画館には行ったりしないのか?と聞くと、「お腹が膨れるわけではないのに、映画を見るだけで一人5ドルなんてありえない(地元昼ご飯は平均2ドルぐらい)」と一蹴されました。

彼らは携帯やバイクには投資するのですが、新しい食事スタイルやファッションなどのへの興味関心はまだまだ薄いです。ベアードパパは幹線道路に大きな看板も立てているし、SNSでの広報もがんばっている、ティモール人はバリ島へもよく渡航するので店の宣伝が目にふれてないわけではないと思うのですが、何分興味が無い。

他の例としては、海外民間投資の目玉としてハイネケンのビール工場も進出したのですが、ハイネケン工場なのにハイネケンは製造されず、なぜかビンタンやタイガービールをライセンス製造。理由を尋ねると、ハイネケンはまだティモール人には新しく人気が無いからとのことでした。その上、現時点で工場稼働率は3~4割程度とのことで、予定していた工場拡張どころではない状態です。

実は最近の統計を見ると、首都と田舎でも貧富の差があまりないことがわかっています。首都に物乞いなども見あたらず、首都で稼いだ現金収入は首都や田舎の親戚内の相互扶助に使われていてお金が首都と田舎をちょうどよく巡っているのかもと言われています。

都市計画で派遣されたJICA専門家の活動報告では、「他の途上国では都市化による弊害が問題となるが、この国は逆に首都がなかなか都市化していかないのが悩み」とのことでした。

プロジェクトでは国立大学工学部卒業生の追跡調査をしているのですが、新卒時の就職率は30%以下、卒業して無職でも上記の相互扶助のおかげで生活に困らないので、学生の職探しも真剣ではありません。現在は国政選挙も平和裏に行われており、みんな生活には満足しているようなのでこれはこれで悪くない社会なのかなとも思ったりもするのですが、石油・天然ガスが無くなったらどうするのかとの議論は尽きません。

というわけで(?)、当地日本人のささやかな楽しみだった、ベアードパパもとうとう先月、長期専門家のように任期2年ちょうどで帰国の途(閉店撤退)につきました。シュークリーム1個(1.5ドル~)がこちらでお弁当を買える値段というのもありますが、そもそもティモールの人々の関心を呼ぶには時期尚早だったのかなと思います。自分のプロジェクトはティモール国立大学工学部の支援なのですが、同じようにティモールに高等教育支援は時期尚早だとよく言われます。プロジェクトは撤退するわけにはいきませんので、将来、様々な環境が整って来た時に活躍できる人材を育成すべく、ベアードパパの分まで(?)残りの任期がんばりたいと思います。

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