ウズベキスタンの日本人伝説
岩田 章一
ウズベキスタン共和国(企画調査員)
今回はウズベキスタンに伝わる日本人伝説についてご紹介します。
話しは1966年4月26日に遡りますが、この日の早朝、タシケント市は、直下型の大地震が発生しました。震源地は市内中心部の地下でマグニチュード5.2。地震による被害は政府系建物約240、商店等約700、教育施設約180、工場等約250、そして、約8万の家屋が倒壊し、タシケント市は全滅状態だったと、国連が調査報告を出しているようです。
そんな災害時に中心部の広場に避難に来た人は、地震の影響もなく悠然と佇んでいるレンガ造りのアリシェル・ナボイ劇場を見て驚いたそうです。
ナボイ劇場は、モスクワ、レニングラード、キエフと並びソ連時代の四大劇場の一つで、ビザンチン風の地下1階、地上3階建、1400の座席を持つ壮麗な劇場です。そして、この建設に携わったのが、捕虜として強制連行された約500人の旧陸軍航空部隊だったようです。
当時日本人と一緒に建設に携わったウズベキスタン人は、日本人は捕虜なのによく働く。将来笑いものになるような劇場を作ったら日本人の恥になる、などの話しを聞いていたそうです。
大地震で市内が全滅した中で倒れず、凛として立ち続けるナボイ劇場を見た現地の人々は、日本人を称賛するようになったようです。この日本人称賛は、ウズベキスタン国内にもあっという間に広がり、更に隣国のカザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタンなどにも伝わり、日本人は優秀でまじめだという日本人伝説が伝わったようです。
ナボイ劇場の側面に、ソ連時代はウズベク語、ロシア語、英語で次のようなプレート碑が記載されていました。
「日本人捕虜が建てたものである」
しかし、ソ連解体後に独立した 当時のカリモフ大統領が、ウズベキスタンは日本と戦争はしておらず、ウズベキスタンが捕虜にしたこともないと指摘し、1996年に次のように作り替えられました。
「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナボイ劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」
と変更され、ウズベク語、日本語、英語の順に変更されました。
ナボイ劇場の建設開始から78年後に訪れた私。捕虜・強制労働という許しがたい事実はありますが、そんな過酷な環境で素晴らしい歴史的な建造物を残した偉大な日本人伝説を実感するとともに、日本人であることを 改めて誇りに思える場所でした。
未だに、捏造している国が日本の周辺には多いことを考えると、日本はこういう国と友好を築くべきだとも考えさせられます。
ナボイ劇場は、今でも使われているので、近いうちにオペラやミュージカルを見て、内部の様子も紹介したいと思います。
以上