HTFH(フンガ・トンガ、フンガ・ハーパイ)の噴火とその後
中曽根 徹治
トンガ王国(企画調査員)
トンガと言えばこれまでは①南洋の美しい島々からなる国、②王国であり日本の皇室とも縁の深い国、③クジラと一緒に泳ぐことのできる稀有な国、として有名でした。去る1月15日HTHFが噴火したことで、日本ではすっかり海底火山の大爆発と津波被害で有名になった感じでしょうか。この国難にトンガに居合わせたことも何かの縁と考え、噴火時の様子やその後の推移・現状などについて、写真を中心に簡単に書き残してみようと思い投稿することにしました。
噴火日は週末だったこともあり、私はNZハイコミにて他国のドナー関係者とテニスで汗を流していました。「ドン」という大音の少し後に高いヤシの木越しの青い空に大きな噴煙を確認したことから、皆で海沿いの道路まで移動し、しばしその噴煙を眺めていました。そうすると「ドン、ドン、ドン」という連続音と共に大きな衝撃波が体を突き抜けました。空気を伝わる衝撃波でこれほど大きなものを受けたのは人生で初めてのことです。しばらく皆で話をしていたものの、これは流石に津波が来るだろうと直感し車で逃げ始めました。
海沿いの道路を内陸部に左折する交差点まで運転をしていると、車窓から迫る津波が目に入り流石に焦りましたが、なんとか逃げ切り自宅に到着。その後2時間程度して停電となりました。夜半からトタン屋根に大きな雨音が響き、火山・津波の次は大雨かと思いつつ翌朝目覚めると、辺りは降灰により一面灰色の世界に様変わりでした。トンガタプ島全島に5~15cm程度の降灰が観測され、その後は数日間電力供給が途絶えました。
これは一大事と写真を撮りに街中に繰り出すと、被災翌日の首都中心部の様子は想像以上でした。被災の様子は写真の通りですが、写真だとリアルが伝わりづらく残念です。その後マンゴー島、アタタ島など被害の大きかった離島の様子も伝わりましたが、離島も含めてこれだけの津波が襲ったにも関わらず、今回死者が4名に留まったのは奇跡と言っても良いのではと感じます。
海底火山噴火の衝撃で国外、国内を繋ぐ海底ケーブルが断線し、通常の通信環境に戻るまで1か月半を要しました。そのような状況でも各国ドナーはトンガ支援を開始し、当然JICAもその責務を果たすべく無いに等しいネット環境で仕事を継続しました。現代の仕事はネット環境無しでは成り立たないことを痛感させてくれる出来ことでした。
各国からは火山灰で飲めなくなった雨水タンクの飲料水を補うために、ペットボトル飲料水を中心として被災者用テントや食料品、高圧洗浄機など様々な緊急支援物資が届けられました。日本は空自輸送機「C130-H」が3回、海自輸送艦「おおすみ」が1回トンガ入りし、各種緊急物資の支援を行いました。そしてそれらの支援と引き換えに、長期間コロナフリーを維持してきたトンガにもコロナが入り込むことになりました。
そんなこんなで現在は噴火・津波被災から4か月が経過しました。首都中心部は一見すっかり元に戻ったように見えます。中心部のシンボル「フレンズカフェ」も営業を再開し、濁った海もすっかり綺麗な色に戻り、火山灰で焼けた多くの植物も緑を取り戻しています。しかしながら全てを流され移住することになったマンゴー島などの小離島住民や、トンガタプ西部に位置し津波による壊滅的被害を受けたカヌクポル村などの人々の復興はまだまだこれからという状況です。
被災後一番印象に残ったことは、海外に暮らすトンガ人が大量の海外送金を家族対して行ったことです。外貨準備は過去最高となり、2021年の外貨送金額は対GDP比で44%と世界2位となりました。トンガ人の家族に対する強い思いを感じさせる出来事でした。
さて現在は仕事に追われドタバタしている状況ですが、自身のトンガ滞在中に少しでも復興に寄与する案件が作れたらと思うこの頃です。それにしてもトンガは現在物価上昇が激しく、ガソリン1L230円というのは本当に勘弁してもらいたいものです。。。。