ウクライナを想って
佐々木 雅子
欧州諸国に縁のなかった私が初めてキエフに行ったとき、とても美しい街だと思いました。金色に輝く玉ねぎ屋根の教会や修道院、キエフ公国の遺跡「黄金の門」、内部が荘厳な国立歌劇場、あちらこちらにある私営のミュージアム、そんな歴史と文化を感じる街並みと緑いっぱいの公園に集う人々に和やかさを感じる一方で、2014年ウクライナ騒乱で多くの犠牲者が出た独立広場の周りの多くの遺影と供えてあるキャンドルと花束、少し暗い空、坂道が多くつるつると転びやすい雪道、少し外れの地下通路やスリのいる地下街、長く深くに降りていく地下鉄のエスカレーター、そのちょっと怖い感じが旧ソ連だということを思いださせました。
私は2015年1月から2016年3月にかけて「ウクライナ民主化に向けた知見の共有」ガバナンス関連6分野の国別研修(本邦研修と現地研修と現地での事後シンポジウム)の実施に従事しました。
渡航前から現地アシスタント通訳の採用面接をスカイプで行なって、女性ひとりを採用しました。そのアシスタント通訳のトーニャさんには、とにかくお世話になりました。キエフには3回渡航しましたが、毎回日本から持っていくお土産をとても喜んでくれました。年齢が近いこともあって、毎日一緒にランチを食べて、仕事以外でもいろいろな話をしました。一緒にショッピングやピクニックにも行き、楽しい思い出がたくさんあります。ウクライナ料理は何を食べてもおいしかったです。多くの日本人がロシア料理と思っているボルシチは、伝統的なウクライナ料理です。本場のボルシチはランチにどの食堂で食べても美味しかったです。それにキエフのチキンカツは絶品でした。
在ウクライナ日本大使に来賓としてご参列いただいたシンポジウムの開催では、トーニャさんの娘さんとその友達に会場案内のアルバイトを頼んだので、親子で業務に協力してくれました。
実施支援した研修で知り合ったウクライナ政府の方々の顔も浮かびます。私がトーニャさんとお揃いで買ったウクライナの民族衣装(刺繍の入ったブラウス)を着て現地研修やシンポジウムの運営をやっていると、ニコニコと笑顔で話しかけてきてくれた方々がたくさんいました。
今のウクライナとロシアの戦争は、2014年のウクライナ騒乱に乗じたロシアのクリミア併合と東ウクライナのドネツィク侵攻から続くものですが、分からないのは、準備はしていたのでしょうけれど、なぜこのタイミングでロシアがウクライナの北東南の3方向から全土に侵攻することになったのか、です。冬のオリンピックの直後ですし、今まだパラリンピックが開催されています。ロシア大統領はなんて非道なことを、と憤りを覚えます。
ウクライナの大統領が元コメディアン俳優で、統治力や政治力がないとロシアの大統領が思ったからでしょうか。今の状況を見ると、ゼレンスキー大統領は民衆を一つにまとめる力を持っているし、2014年の経験からウクライナ国民は独立を守り抜く意思を持っているように思います。ロシアのものと思われがちなコサック(軍事的共同体とその構成員)はウクライナ人です。18世紀から侵略者との戦いを続けてきた歴史的伝統的集団なのです。だからその真髄が引き継がれているのでしょう。
ただ、連日の爆撃で民間人の死傷者が増えることで、老齢者や、そこで生き残りたくても生活インフラがなくてなすすべがない地域の人々、助けを求めて逃れ行くことができない人々の心が折れてしまわないか、と心配します。ロシアに屈服することを選択してしまう人々がいることも事実のようですし、親ロシアの人々に助けを求める以外にない人々もいるでしょう。
私のウクライナ土産のお気に入りはチョコレートでした。ROSHENのチョコレートをまた食べられる日が早く来ることを願っています。トーニャさんに送ったメッセージは未読のままです。政府の皆さんの安否を知る由もありません。ウクライナの皆さんが無事であること、早く戦争が終わること、平和なウクライナに戻ることを願ってやみません。2022.3.10
後日談:その後、トーニャさんとは連絡が取れました。キエフ近郊の空港近くに住んでいたため、戦闘開始1週間目に危険を感じて出国し、ドイツで難民受け入れ家庭にホームステイさせてもらっているそうで、少し安心しました。でも、キエフの街は景色が変わっているだろうと思い、残念です。