退避帰国の生活は憂鬱 ミャンマー
碓井 哲朗
技プロ業務調整員(ミャンマー)
退避帰国し思ってもみなかった生活が始まってから早一か月半が過ぎた。赴任地のミャンマーでのコロナウィルス感染数は4月初旬の段階では感染者数は16名だったが、5月28日時点では206名で死者は6名。その後も検体検査はヤンゴン市内の国立健康ラボに限られ、全国から送られるサンプル処理数は約300と言われている。処理体制が整備されていない現状も感染者数に現れる現状は否めない。
勤務地の首都ネピドーでは退避前の3月末に国連職員がスイスから戻った後に感染が判明。職員の宿泊先だったホテルは政府により即時に閉鎖され、突如他の宿泊客やスタッフ全員が2週間身動きが取れない隔離状態になった。自分はその閉鎖されたホテルから徒歩圏内にある別のホテルに宿泊していたが、ここでもし自分が感染したら他の客や従業員を2週間缶詰状態にさせ、どれだけ個々人のビジネスや生活自体に被害を与えるのかと思うと毎日緊張の連続だった。まして医療設備が整わない現地のあの病院での隔離生活を考えると尚更憂鬱になった。
その後ネピドーでも新規感染者が発生したため、政府はネピドー行政県への入域を制限し居住者以外の入域を禁止。別の県から戻った居住者に対しては隔離施設での2週間の待機とさらに1週間の自宅での自己隔離を強いている。ネピドー近辺の村でも村の入口には検問所が設けられ村民以外の出入りを規制。このような感染予防政策が徹底できるのがミャンマーの「体制」だが、これに対して人々からの不平不満はあるが高まってはいない。やはりスーチーさんが我々にお願いすることだから仕方ない、という雰囲気があるのは確かだと思う。
ヤンゴンでも同じようなコロナウィルス感染予防対策が引続き徹底されており、アパートでも居住者以外の立入が禁止されている。感染者が出た場合はアパート全体が閉鎖され、同居する人は全員検疫所での隔離と検査が徹底されている。閉鎖されたアパートや家屋に居住する人々に対して、自発的に作られたボランティアグループが食事や必要な物資を提供している。
帰国後の2週間の隔離生活が無事に過ぎ緊急事態宣言も解除された。不要不急の外出をする用事もなく家でのテレワークの毎日だ。しかし外を見るとマスクをせずに闊歩している人が前を通り過ぎ、近所のスーパーに行くのもまだまだ躊躇する。ソーシャルディスタンスを気にするが、昨日はかなり狭い空間にいてしまったとか、たまたま話した人はマスクをしていなかったとか外に出ると気苦労が多く引きこもりたい気分になる。こんなことならミャンマーにいた方がまだ安全で業務ができたはずだと思うとまた憂鬱な気分になる。仕方がないので毎日感染予防に努め赴任地に問題なく戻れる日を待つのが精神衛生上得策のようだ。