ミャンマーのネピドーで見かけた日本的なもの(トラック編)

次の記事へrep_2019_2.htmlrep_2019_2.htmlshapeimage_1_link_0
記事メニューへreport.htmlreport.htmlshapeimage_2_link_0

ミャンマー 業務調整      碓井哲郎  

 

 ヤンゴン市内はクラッシックカーの宝庫だったが 10 年前から日本からの輸入車が急増した。そのためそれまで活躍 していた古参の車両は廃車や地方への左遷と憂き目にあっている。しかしここ新首都ネピドーではまだまだクラシ ックカーが老骨に鞭打たれながら走り回っている。その中でもひと際目を引くのがボンネット型のトラックだ。 このトラックは 1955 年に締結された「賠償および技術協力協定」という戦後賠償に基いた資金協力により開始され た「ビルマ工業化4プロジェクト」の一環として現地で組立て生産された製品の1つ。日野自動車がラングーン (当時)の工業省で 6.5 トントラックを組立てた。生産合計台数は不明だが 70 年から 73 年には 29 人乗り小型バス と合わせて 600 台が生産されたらしい。社会主義かつ軍事政権下での援助は当然軍事支援ともなり、多くのトラッ クが軍用として活用されたことが以前国会で ODA 大綱に反すると批判されたこともあった。 その後円借款と引継がれた同プロジェクトは 87 年まで継続されたが、今では軍部と政府機関で使用されている限り でヤンゴン市内では殆ど見かけなくなった。しかしネピドーではまだまだ「現役」で、市当局の散水車として利用 される風景を毎日見かける。製造から 50 年以上も経った今でも活躍している姿に日本製品の頑強さと、現地役人の 壊れたら責任を取らされるといった「責任感」と「無いならないなりに」という根性がトラックの雄姿からにじみ 出ているように思えてならない。     碓井@ネピドー